ヨセミテ
ヨセミテでは、自然が劇場のように立ち上がる。
ヨセミテは、岩壁と滝と谷の劇場です。 花崗岩の壁、エル・キャピタン、ハーフドーム、春の滝、セコイアの森。 そこでは自然が、観光の対象である前に、畏敬の対象として立ち上がります。 人間の時間よりはるかに長い地質の時間を、目の前に突きつける場所です。
ヨセミテの谷に立つと、視線は自然に上へ向かいます。 岩壁は建物のように高く、滝は季節によって声を変え、朝と夕方で谷の影がまったく違います。 この場所では、人間の計画が小さく見えます。 駐車場、道路、ホテル、展望台、カメラ。 そうした人間の装置がいくら整っていても、最終的に主役は岩と水と光です。
しかし、ヨセミテを「手つかずの自然」とだけ呼ぶことはできません。 そこには先住民の暮らしと記憶があり、保護制度の形成と観光開発の歴史があり、 道路や宿泊施設を整えた労働の歴史があります。 美しい景色は、自然だけでなく、人間の制度と選択によっても現在の形になっています。
畏敬は、所有欲と戦う。
壮大な風景を見た時、人は二つの反応を持ちます。 一つは、これを自分のものにしたいという所有の欲望です。 もう一つは、自分より大きなものの前で静かになる畏敬です。 国立公園という制度は、後者を公共のルールに変えようとする試みでもあります。 これは私のものではない。あなたのものでもない。 未来の人々も見るべきものだ。 そう考える時、風景は商品ではなく約束になります。